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浅草の魅力
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江戸時代から続く
「住まう場所」としての系譜
『ローレルアイ浅草レジデンス』が建設される周辺は、
旧奥州街道沿いに江戸時代前期に街が創られ「新鳥越町」と呼ばれました。
そこから隅田川河畔にかけては当時から町屋だけでなく多くの寺社もありました。
町人文化が華やいだ江戸時代後期には、ほど近い場所に歌舞伎興行の街ができ、その先の浅草寺の参詣客も増えたことで芸能・祭礼も盛んになり、それを支える工芸・料理の技術も磨かれ文化の発信地となりました。
副都心のひとつにかぞえられる現在も、お寺や神社の境内の緑やお祭り、老舗の料理や伝統工芸など、他にはない文化と潤い豊かな街でありつづけています。
栄華を極めてきた浅草寺周辺。
環境はその華やぎを間近にしながら、
暮らしを豊かに営みながら住まう場所として、江戸時代から歴史が刻まれています。
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1
1837年創業の
天ぷら屋三定
約1,500m/徒歩19分日本最古と言われる天ぷら屋。溢れんばかりのかき揚げが有名。
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2
1790年前後
創業の鰻屋やっ古
約1,700m/徒歩22分夏目漱石の文学作品にも登場。勝海舟やジョン万次郎も来店。
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3
1861年創業
和太鼓宮本卯之助商店
約680m/徒歩9分和太鼓や神輿の工房。昔ながらの製法を守りながら製作。
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4
創業200年以上の
江戸銘菓店常盤堂本店
約920m/徒歩12分浅草みやげの代名詞といえば、常盤堂の「雷おこし」というほど有名。
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5
1907年創業の
てぬぐい・
染物専門店染の安坊浅草本店
約1,480m/徒歩19分職人による1色1版ずつ染めた手ぬぐいは色柄豊富で毎月新作も店頭に並ぶ
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6
1872年創業の
小道具提供会社藤波小道具
徒歩10分/約750m歌舞伎向けの小道具提供会社として創業。歌舞伎以外の各種演劇も下支え。
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7
1847年創業、
最後の今戸焼職人今戸焼白井
徒歩8分/約620m江戸時代から今戸焼を製造販売。現在、区内で唯一の今戸焼職人。
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8
1867年創業の
型染め屋更銈
約860m/徒歩11分日本に古くから伝わる技法や素材を生かしたものづくりを手掛けている。
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9
1864年創業の
糸と紐の専門店町田絲店
約2,120m/徒歩27分多彩な品揃えの糸問屋。糸一筋のこちらの品揃えは驚異の数万種類。
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A
初詣(浅草寺ほか)
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B
節分・福聚の舞(浅草寺)
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C
大根まつり(待乳山聖天)
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D
浅草観音示現会・金龍の舞(浅草寺)
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E
隅田公園桜まつり
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F
桜橋花まつり(隅田公園)
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G
一葉桜まつり(一葉桜・小松橋通)
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H
仏生会・花まつり
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I
三社祭(浅草神社)
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J
下町七夕まつり(かっぱ橋本通り)
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K
隅田川花火大会
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L
浅草サンカーニバル(馬道通り~雷門通り)
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M
酉の市(鷲神社・長國寺)
浅草の歩み
History
628年 推古天皇36年
浅草の由来
狩野氏信筆「武蔵国浅草寺寛文縁起絵巻」(本尊感得の図)「絵葉書資料館蔵」より
漁師の檜前浜成・竹成[ひのくまのはまなり・たけなり]の兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で網にかかった仏像を持ち帰り、この地域で物知りの土師中知[はじのなかとも]という土地の長に相談したところ観音菩薩像であることがわかり、堂に祀ったのが浅草寺の始まりとされています。後に地域の人々がこの三人の祖先を神として祀ったのが浅草神社の三社祭の起源と言われています。
1181年 治承5年(鎌倉時代)
歴史書『吾妻鏡』
「浅草」という地名の確実な資料における初見は、鎌倉時代に編纂された歴史書『吾妻鏡』であると言われています。1182年に源頼朝が鎌倉の鶴岡八幡宮造営に際し、浅草から宮大工を呼び寄せており、1192年に源頼朝により行われた後白河法皇の法要に浅草寺の僧が招かれました。
1590年 天正18年(安土桃山時代)
徳川家康も武運を祈念
徳川家康が江戸に入府。家康により浅草寺は祈願所に定められ、以後篤い庇護を受け参詣者も増えていきます。
1646年 正保2年(江戸時代前期)
新鳥越町の成立
現在の台東区鳥越にあった熱田神社とその氏子の住居が奥州街道沿いに移転し、『ローレルアイ浅草レジデンス』の周辺は新鳥越町として街が創られました。さらに1600年代後半には江戸の街の拡大に伴い新鳥越町の周囲に多くの寺院が移転、街の性格が多様化しました。
- 寺院・神社
- 町屋・長屋
- 武家屋敷
- 山林・田畑・入会地
©(有)菁映社、(株)APPカンパニー、中川惠司
- 寺院・神社
- 町屋・長屋
- 武家屋敷
- 山林・田畑・入会地
1685年 貞享2年(江戸時代前期)
観光都市としての繁栄
浅草寺の参詣者が増えたことで、境内表参道には「仲見世」の前身である商店が設けられました。その後、江戸時代中期になると境内北西部の奥山と呼ばれる区域(現在の「ロック座」から「花やしき」あたり)では大道芸などが行われるようになり、境内は庶民の観光・娯楽の場となってゆきました。
台東区立図書館デジタルアーカイブより
江戸の華のはじまり
台東区立図書館デジタルアーカイブより
隅田川花火大会は江戸時代前期から中期に隅田川での船遊び・納涼花火解禁日に花火師の鍵屋・玉屋が自身の花火を宣伝する目的で大々的に花火を打ち上げたことに始まります。
1820年代 (文政年間 江戸時代後期)~1923年(大正12年)
新鳥越町に「八百善」が創業
江戸高名会亭尽 八百善(歌川広重筆)
会席料理を確立し江戸で最も成功した料亭の一つである八百善は、新鳥越町二丁目(『ローレルアイ浅草レジデンス』のひとつ南側の街区)に創業。当時の料理テキストの刊行、文人墨客・徳川幕府要人も訪れるようになります。明治期にも繁盛は続き、海外の来賓の饗応料理を担当するなど食文化をリードし続けました。
- 寺院・神社
- 町屋・長屋
- 武家屋敷
- 山林・田畑・入会地
©(有)菁映社、(株)APPカンパニー、中川惠司
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1842年 天保13年(江戸時代後期)
芝居の街『猿若町(さるわかまち)』
台東区立図書館デジタルアーカイブより
徳川幕府により現在の人形町から銀座あたりに存在していた歌舞伎興行の芝居小屋(中村座・市村座・森田座)と役者の住まいが、猿若町(現在の浅草6丁目の一部)に集められました。役者や作者が集まることで芝居の演目が充実するとともに、浅草寺参詣を兼ねた芝居見物客が連日足を運ぶようになった結果、歌舞伎はかつてない盛況をみせるようになりました。当時の歌舞伎興行は丸一日で演目が組まれたことにより芝居中や休憩時間の食事の仕出し業も盛況となりました。また、多くの寺社の祭礼用品制作に加え歌舞伎興行のための楽器・衣装・舞台装置など高い工芸技術の集積を伴い、猿若町とその周辺には現在も老舗の料理や伝統工芸が人々によって受け継がれています。
- 寺院・神社
- 町屋・長屋
- 武家屋敷
- 山林・田畑・入会地
©(有)菁映社、(株)APPカンパニー、中川惠司
- 寺院・神社
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- 武家屋敷
- 山林・田畑・入会地
1873年 (明治6年)
浅草寺境内が公園地に指定
明治時代になると新政府は、欧米諸国の先進国にならって、周辺一帯を浅草公園として整備。林泉公園地区(後の四区)や興行地区(後の六区)など全体が7つの区画に分けられ1886年に開園しました。五区に位置していた浅草花やしきは遊園地・動物園として人気を博し、1890年(明治23年)に竣工した電動式エレベーターを備えた展望塔「凌雲閣」(地上52m・12階建て)も新たな観光名所となりました。
©(有)菁映社、(株)APPカンパニー、中川惠司
- 寺院・神社
- 町屋・長屋
- 武家屋敷
- 山林・田畑・入会地
隅田川のほとりは、別荘地として愛された地。
現地近くの隅田川の河畔(隅田公園から白髭橋)は風光明媚な地として著名人たちが別荘を構えました。身近に歌舞伎や演芸、名料理店、優れた工芸品・衣料品が揃うという文化レベルの高さも魅力であったことでしょう。
別荘を構えた著名人
- 三條 実美
- 神木 治三郎
- 有馬 頼寧
- 郷 誠之助
- 池田 茂政
- 松平 慶永
- 伊達 宗城
- 坂東 三津五郎
- 喜多村 緑郎
- 大瀧 勝三郎
- 沢村 宗十郎
- … 明治維新政府の中心的公卿
- … 浅草に神木銀行を創立
- … 元久留米藩主、競馬の有馬記念を創設
- … 実業家、弟は三菱財閥の養子に
- … 元岡山藩主
- … 元福井藩主
- … 元宇和島藩主
- … 歌舞伎役者
- … 舞台俳優
- … 興行師、歌舞伎のかつら職人
- … 歌舞伎俳優
- 寺院・神社
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